こんにちは、ライフコーチのSayaです。
先日、中学時代からの親友と話していて、私の母親がかなりの教育ママだったという話になりました。
それを聞いたとき、「え?そう・・・?」と、ちょっとびっくりしてしまったんですよね。
でも、親友から中学時代の私のことを聞くと、「確かに私の母親は教育ママだったんだな」と思います。
それによくよく考えれば、私も母親の教育ママっぷりを感じていたことがあるんです。
ただ、それは相手が自分以外のときで、今まで母親が自分に対して教育ママだったと思ったことはありませんでした。
やっぱり、当事者だと見えないこと、わからないことがありますね。
そして今になって当時のことを振り返ってみたところ、今までとはちがう見え方になりました。
今回は、私が今回親友と話して考えた親についての思いをご紹介します。
完全に私の話なので、興味なかったら、とばしてくださいね!
この記事でお伝えしたいことは、親との関係について、大人になってちょっと離れたところから客観的に見てみると、何か今までとはちがう印象、感情が生まれるかもしれない、ということです。
親のことは、「それが普通」と思いがち
親友によると、私は学校のテストで98点をとったときに「母親に怒られる~」と言い、それを聞いた親友は「さやのお母さんは教育ママで大変だな」と思っていたらしいです。
実際は怒るわけでなく、「おしかったわね~」と笑ってたような気がするよ
中学時代は3年間ずっと週3で塾通いをしていました。
受験した高校も偏差値がそれなりに高い学校だった記憶があります。
母親に「塾で一番いいクラスになれたらCDラジカセを買ってあげる」と言われ、実際に買ってもらいました。
さらに記憶をさかのぼると、小学生だった頃、姉が泣きながら勉強していたのを目撃したことがあります。
すぐそばに母親が立って監視していて(笑)、怒られてイヤイヤ勉強していたんでしょうね。
子どもながらに、「お姉ちゃん泣いてる〜大変だなぁ」と思ったような気もします。
また、最近だったら母親が孫(私の姉の娘)の勉強について意見を言っているのを見たときに、「お母さんらしいな」と感じました。
なので、言われてみれば確かに母親は教育ママなんだけれど、自分にとってはそれがあまりにも「普通」で気がついていなかったんです。
中学生の私にとって、塾も勉強もそんなに嫌なものではなかった、ということも大きいです。
自分の家庭で「普通」と思っていることが、他の家庭では「普通ではない」ことはよくあることです。
言葉の使い方などのちょっとしたことから、教育方針や家庭内のルールなど生活に影響が及ぶことまで、さまざまな「普通」がそれぞれの家庭にあります。
子どものときに友だちと話したり、友だちの家に遊びに行くことによって何となくそれを理解していくものですが、私のように、大人になってからも新たに気がつくことがあります。
当時の親の気持ちを想像してみた
親友と話して母親が教育ママだったことに気がつき、その背景について少し考えてみました。
母親が教育ママだった時代は、私の中学時代です。
振り返って思い出してみたら、母親が教育ママになるのは自然な流れだったんだな~と感じました。
当時の私は、
- 小学校時代をほとんど海外で過ごし、小6の夏に帰国してからはテストでいつも赤点
- いじめにあう(地元の中学校に入学するとまたいじめられるかも)
- 帰国子女専門の塾に通い中学受験するも、全て不合格
- 英語を忘れないようにと通わせてくれた英会話スクールも、好きではなく続かず
- 芸術系にも運動にも興味なし
そりゃあ心配だろうな、という状況ですよね、これは。
親としては、なんとか帰国子女を受け入れる公立中学校を探して娘を入学させたものの、それだけでは娘の将来について安心できなかったことでしょう。
塾に通わせ、まずは遅れた勉強を取り戻さなければ!と思っただろうし、何の特技も趣味もない娘を見て、勉強させよう!と思うのは自然な流れのような気がします。
幸い、私は勉強に拒否反応を示さなかったので、合っていたのだと思います。
教育ママ的素質はもともと母親にあったのだとは思いますが、私の当時の状況と相まって、さらに強化されたんだろうと腑に落ちました。
当時の母親の年齢は、今の私とだいたい同じくらい。
当時の母親の気持ちが、少し理解できたように思います。
今になって感じた、母親(&父親)への感謝の気持ち
中学時代、私はいわゆる「勉強ができる優秀な子」でした。
でも、それよりも運動とか音楽、美術など、何か一芸に秀でている方がいいよな、と思うこともありました。
さらに大学くらいからは「成績はいいけど真に賢いわけではない」というコンプレックスを抱くようになりました。
大人になってから、勉強に力を入れた親の教育方針にちょっとした疑問を感じることさえあったんです。
けれど、今回振り返ってみて、「ああ、これで良かったんだ」と思えたし、あらためて、母親(そして母親が相談していたであろう父親)への感謝の気持ちが芽生えました。
安心だった
先ほどご紹介した、小6で帰国した後の私の状況は、我ながら絶望的と言いますか残念な状況でした。
自分で書いててビックリした!
ただ、当時の私は、受験にすべて失敗してもそんなに気にしていませんでした。
地元の公立中学校に通うことになったら、自分をいじめているクラスメイトと同じ中学、同じクラスになる可能性があります。
それなのにそこまで不安に思うことがなかったのは、それはもう親のおかげだと思うんですよね。
特に一緒に過ごすことが多かった母親は、とても心配性です。
だから娘の状況はとっても心配だったでしょう。
それなのに私が不安にならなかったということは、それを娘に悟られないようにしていたのかな、と思います。
不合格だったときは、私が落ち込まないように励ましてくれたんだろうし、最終的に私がいじめられないで済むように、通える中学校を探してくれました。
自信や自尊心をもてた
いじめられ、受験も失敗し、自信喪失してもおかしくない状況だったにも関わらず、私はそうなりませんでした。
母親が励ましてくれた、応援してくれたというのもあるでしょうし、その後「勉強」という特技(?)を見つける機会を作ってくれたのも大きかったです。
確かに、運動ができる子、楽器が上手な子、絵が上手な子、華がある子・・・要は私が持っていないものを持っている子に憧れを持っていました。
それでも、中学校はとってもとっても楽しかったんです。
それは、今考えれば、当時の私にとって「勉強はできる」というのが一つの重要なアイデンティティーになっていたからではないかと思います。
勉強という習慣が手に入った
先述のとおり、私は成績がいいということにある種のコンプレックスを抱いていました。
でも、勉強する習慣があったおかげで高校に入学できたし、大学受験に失敗しても浪人して1年間集中して勉強することができました。
そして楽しい学生生活を送ることができました。
公務員になってからも、その経験は活かされたと思います。
40代でコーチングの勉強をしようと思ったのも、勉強への抵抗がなかったからです。
勉強する習慣がついていたおかげで、私は人生のいろいろなステージを楽しめたし、仕事で人の役に立つことができたし、新しいことに挑戦できたんだ、ということに気がつきました。
勉強しない人はダメ、と言っているわけではありませんので、誤解しないでください。
机上の勉強をしなくても、人生楽しめるし、人の役に立つことはできるし、新しいことに挑戦できます。
ただ、私の場合は、勉強する習慣が功を奏した、ということです。
まとめ
今回は、親友と話して考えた、親についての思いをご紹介しました。
40歳を過ぎて、友人と話しながら中学時代のことを思い出してみると、客観的に物事を捉えられました。
その結果、40代だった頃の親の気持ちをちょっと知ることができたように思うし、ちょっとしたコンプレックスが解消されました。
また、あらためて、親への感謝の気持ちが生まれました。
親との関係は、家族であるがゆえに複雑でしがらみがあったりするかもしれません。
でも、大人になってちょっと距離をとって観察してみると、今まで無意識に感じていたことに気がついたり、新たな発見があったりと、ちょっとスッキリするかもしれませんよ。
もし、家族との関係でサポートが必要な場合は、コーチングをお試しくださいね。
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