
こんにちは、ライフコーチのSayaです。
前の記事から1ヶ月ぶりのブログとなりました。
ずいぶんとあいてしまい、申し訳ありません。
さて、少し前に「マインドフルネス瞑想」というものに参加してきました。
コーチングの勉強をしていると、「マインドフルネス」や「瞑想」の話を聞く機会が多々あります。
当然、興味があって「マインドフルネス瞑想」に参加したわけですが、「マインドフルネスって何?」と問われると、意外とはっきりとは答えられないことに気がつきました。
そこで、最近マインドフルネスに関する本を読んでいます。
その中の1冊、「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」という本には、人間のVulnerability(ヴァルネラビリティ、弱さ)について書かれていました。

本を読んでいて、昔の自分に起きたことが、「なるほど、そういうことだったのか」と腑に落ちた瞬間がありました。
というのも、Vulnerability に関する著者(スティーヴン・マーフィ重松氏)の経験が、私の経験ととてもよく似ていたんです。
今回は、自分の弱さを理解して受け入れることの重要性について、お伝えします。
なお、記事内の引用の引用元は、すべて「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」です。
「弱くていいんだ」と思えた瞬間、勇気がでる
類似していた経験は、次のとおりです。
【私の経験】
小学校でいじめられていた私は、ある日我慢できなくなり、泣きじゃくりながらどんなことをされているのかを母親に話した
↓
母親は抱きしめてくれた(何か言われたのかは覚えていない)
↓
・卒業までの数ヶ月間、学校に通うことができ、それ以後泣くことはなかった
・卒業後、いじめられていたことを引きずることはなかった
【スティーヴン・マーフィ重松氏の経験】
・7歳のときのサマーキャンプ(2週間くらい親元を離れて過ごす)で「よう、ジャップ」とか「チャイナマン!」などと叫ばれた
・一緒にサマーキャンプに参加していた親友が、訳あって帰ることになった
↓
両親の訪問時、キャンプがどうか聞かれ、泣いてしまった
父親が抱きしめてくれ、何があったか話すと、父親は「家に帰ろう」と言ってくれた
↓
落ち着きを取り戻し、家に帰りたい気持ちは消えてキャンプに残ることにした
このときの経験について、スティーヴン・マーフィ重松氏は次のように考察しています。
私が大冒険に失敗したことでがっかりしたに違いないが、父はそれを表に出さなかった。
私を傷ついてひ弱なままにさせてくれた。
弱さとともに私を受け入れてくれたのだ。泣くのを許し、私を慰めてくれた。
そして、それが私に続ける勇気をくれたのだ。
私の場合は母親だったけれど、これとまったく同じことが起きたのだと思います。
今までも当時のことを思い出し、抱きしめてくれたことで安心した、とは考えていました。
その安心感は、親は自分の味方であるとか、自分を守ってくれる、という安心感だと思っていました。
もちろん、この安心感も大いにあると思います。
それに加え、母親に抱きしめられたことで「このままでいい、いじめられて何もできずにただ泣いている弱い自分でOK」と自分の弱さを受け入れることができ、学校に通う勇気がもてたのだと、気付かされました。
卒業してからも、いじめられるのでは、というような怖れをほとんど抱くことがなく、楽しい学生生活を送れました。
誤解しないでいただきたいのですが、いじめられていても学校に通うべきだ、と言っているのではありません。
私の場合は学校に通うという選択をしたわけですが、それには私の性格とか、そのときの私の置かれていた状況(あと少しで卒業だったとか)などが関係しています。
状況に応じて、そしてその人によって、他にもいろいろな選択肢があると思います。
自分の弱さを理解し受け入れることで、他者との関係も変わる
Vulnerability(ヴァルネラビリティ、弱さ)について、スティーヴン・マーフィ重松氏は次のように述べています。
私たちには起こることを操作する力はないし、私たちは不屈の存在でもない。この人間の性質を表すとともにそれを敬うのがヴァルネラビリティなのである。
弱さに陥るというのはダイナミックな体験で、たいていの場合、意識が大きく変わっていく。
ヴァルネラビリティとは自分の世界観や、「妥当」「正解」「明白」「普通のやり方」についての前提を根底から疑うことだ。
(中略)
だがその時こそ、他者や他のコミュニティ・文化の内側から世界を理解することが可能となる。
(中略)
ヴァルネラビリティを体験し受け入れることが、共感や他者理解の入り口となるのである。
自分の弱さを表に出しちゃいけない、弱い自分はダメだ、と感じている人は多いのではいないでしょうか。
けれど、私たち人間には、もともと「弱い」という性質があります。
人それぞれの、さまざまな弱さがあります。
もしかしたら、自分の弱さに気がついていない人もいるかもしれません。
隠すことに慣れてしまうと、自分でもその存在を忘れてしまいます。
だからこそ、その弱さを突きつけられるような経験は、つらく苦しいものです。
できることなら、目をそらしたくなります。
でも、弱いのが当たり前。弱くてOKなんです。
自分の弱さを受け入れ、さらにその弱さを敬うことで、次の段階に進めます。
それは、共感や他者理解につながり、他者との関係性にも変化をもたらしていきます。
私はいじめの経験以降、人間関係でそこまで深く悩んだことはありません。
といっても何もなかったわけではなく、苦手な人がいることもありましたし、逆に「〇〇さんは私のこと好きじゃないんだろうな」「急に〇〇さんの態度がそっけなくなったな」などと感じることはありました。
けれど、多少気にすることはあっても、それで深く悩むことがなかったんです。
また、ちょっとクセのある人とも良好な関係を築けるタイプなのではないかと思っています。
今思えば、それは小学校時代のいじめの経験から自分の弱さを知って受け入れたことに始まり、そこから他者との付き合い方に影響を及ぼしたのでしょう。
どうしたって合わない人はいるし、苦手な人もいる。
自分のことを苦手だと思う人、好かない人もいる。
クセの強い人もいる。
こういったことを、シンプルに事実として受け入れることができるようになったのだと思います。
まとめ
今回は、「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」から、自分の経験も交えながらVulnerability(ヴァルネラビリティ、弱さ)についてお伝えしました。
人間には、もともと「弱さ」がある。つまり、弱くて当たり前なんです。
それを知るだけでも、肩の荷が下りて、ちょっとホッとできませんか?
自分のこととなると、弱さと向き合うのは勇気がいることです。
でも、心に余裕があるときに、自分の弱さって何だろう?とちょっと考えてみてはいかがでしょうか。
そして、その弱さを、「そのままでいいんだ」と受け入れてみてください。
今まさに自分の弱さに直面するような出来事を経験している人は、苦しい時間を過ごしているかもしれません。
でも、弱くていいんですよ。
弱い自分を、受け入れてあげてください。
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