飽きっぽい人に朗報!

こんにちは、ライフコーチのSayaです。

飽きっぽいと聞くと、どういうイメージをもつでしょうか?

飽きやすくて長続きしない、やめる
というような意味で、ネガティブなイメージのある言葉ですよね。

「飽きっぽいんだよね~」と残念そうに自分のことを話す人はけっこういるような気がします。

かくいう私も、自分のことを飽きっぽいと思って生きてきました。
対照的に、何か一つのことに没頭して長期間かけて取り組み、プロフェッショナルになっていく人に、憧れがありました。

あなたも、ご自分のことを「飽きっぽい」と思っていませんか?

でも、飽きっぽいって、意外といいことありますよ。

そもそも、飽きっぽいって?

ちょっと考えていただきたいんですが、
どれくらいでやめたら、飽きっぽいと感じますか?
どれくらい続いたら、飽きっぽくないと感じますか?

趣味、仕事、習い事、推し活など、対象が何であるかによって変わるので、一概には言えないと思います。
対象を一つにしぼって考えてみたらいいかもしれません。

できれば複数人で考えると面白いですよ。
なぜなら、結果はさまざまで、万人に共通の「飽きっぽい」はないですから。

たとえば、ピアノが好きで習い始めて、1年でやめたとしましょう。
Aさんは、「え、たった1年で飽きたの・・・?」と感じる。
一方でBさんは「1年もやったんだ、長いね!」と感じる。
Cさんは、「まあ、そんなものじゃない、習い事って。」と感じるかもしれません。

事実と言えるのは、「ピアノを1年間習った後、やめた」ということだけ。

飽きっぽいというのは事実ではなく、飽きっぽいと感じるかどうかは、人によってちがいます。
その人が生きてきた環境、家族をはじめとする周囲の人たちなど、本人の経験によって、感じ方は変わりますよね。

もしかしたら、「〇〇(あなたの名前)は本当に飽きっぽいんだから」と親やきょうだい、友達など身近な人に言われたことがあるかもしれません。

身近な人からの言葉は、響きますよね。
しかも、繰り返し言われたら、それが真実だと思ってしまいます。

でも、それは言っている人の感覚に過ぎません。
その感覚を、自分に採用しなくてもいいんです。
特に、その感覚が自分の居心地を悪くしているのならば。

だから、たとえば「ピアノを1年間習った後、やめた」ということをもって、「飽きっぽい」と決めつける必要はないんです。

ちなみに、私はというと、周りから「飽きっぽい」と言われた記憶はありません。
記憶がないということは、仮に言われていたとしても、大きな影響がなかったということです。

印象に残っているのは、子どもの頃にいくつか習い事をさせてもらったけれど、どれもそんなに長く続かなかったような、夢中にならなかったような、そんな記憶です。

そして、先ほども書きましたが、何か一つのことに没頭して長期間かけて取り組み、プロフェッショナルになっていく人に憧れがあります。

私の場合は、「何か一つのことに没頭して長期間かけて取り組み、プロフェッショナルになっていく人」と、「習い事が長続きせずに一つのことに夢中になることがなかった自分」を比べて、自分は「飽きっぽい」と感じていた、と整理すると合点がいきます。

それって、世界の中のほんの一部の人たちと、自分が経験したほんの一部の出来事や自分のほんの一部の側面を比べて、「自分は飽きっぽい!」と決めつけているということです。

よくよく考えると、自分はなんとも滑稽なことをしてきたんだな、と笑えてきます。

私のように、誰か特定の人と自分の特定の部分を勝手に比べて「自分はこうなんだ」と決めつける、ということもよくあることではないでしょうか。

でも実際は、世界にはいろんな人がいます。
そして、人にはいろいろな側面があります。

特定の人と、自分の特定の部分を比べる必要性は、全くないんですよね。

飽きっぽいことの利点

そうは言っても、長年共に過ごしてきた自分の感覚。
「そっか、私は飽きっぽくなかったんだ!」とすぐに切り替えられない人もいるでしょう。

その場合は、無理に「飽きっぽくないんだ」と思う必要はありません。
飽きっぽいと思ったままでもいいです。

その代わり、飽きっぽいことの利点を考えてみてください。

いくつかここに挙げてみます。
他にもあると思うので、ぜひご自分でも考えてみてくださいね。

やめられる、という強み

飽きっぽい人というのは、興味があって始めたものの、飽きてやめてしまう人です。

やめるというのは、人によっては、難しいことです。

「せっかく始めたのに」という思いから、なかなかやめられない人もいます。
その結果、明らかに楽しくもなく好きでもない、続ける必要がないことを、ダラダラと続けてしまうことにもなりかねません。

それに比べて飽きっぽい人というのは、飽きた結果、やめられるんです。

新しいことにスピーディーに挑戦できる

飽きてやめた結果、他のことをする時間と余力が生まれますよね。

興味のあることが新たにできれば、それにフォーカスできるということです。

飽きてやめることが多かったとしても、それはそれで、次へ次へと進んでいくことができるということです。

多種多様な経験ができる

そうやって次へ次へ進んでいくと、いろいろな経験ができます。
それって、とても楽しいことですよね。

私が憧れた、何か一つのことに没頭して長期間かけて取り組み、プロフェッショナルになっていく人。
こういう人は、とてもカッコいい。

でも、興味のあることに次から次へと渡り歩いていき、多種多様な経験を重ねるのも、それもまたすごく素敵なことです。

まとめ

今回は、飽きっぽいことについて、

  1. そもそも飽きっぽいと思う必要がない
  2. 飽きっぽいと思ったとしても、飽きっぽいことの利点がある

ということをお伝えしました。

今考えれば、私が公務員をやめてライフコーチになることを決断できたのも、飽きっぽさから生まれた、すぐにやめられる体質が影響しているのかもしれません。

やめたいと思ってからやめるまでは、投資にハマったり、動画作成やブログ(このブログとは別のブログ)を始めては数ヶ月でやめる、なんてことをしていました。

飽きっぽさ全開!

でも、そうこうしているうちに「これだ!」と思えるコーチングに出会えました。

ご興味がある方は、こちらをどうぞ

習い事が長続きしなかったということは、続けることを望んでいない私を見て、親がやめさせてくれていたということ。
長続きしなかったことを良くないことだと勝手に感じていましたが、やめるという選択肢を教えてくれた親に感謝です。

もしあなたがご自分のことを飽きっぽいと感じているのなら、少しでも気持ちが楽になったでしょうか?

もしまだモヤモヤするという方は、お気軽にコーチングをお試しくださいね。


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