こんにちは、ライフコーチのSayaです。
多くの人は劣等感を感じたことがあると思いますが、劣等感って聞くと、あんまりいいイメージがない、という人も多いのではないでしょうか。
私は、これまであまりいいイメージがありませんでした。
劣等感というと、
- いじけている
- 自分はそうはなれない、と諦めている
このようなイメージをもっていました。
けれど、劣等感そのものは決して悪いものではないんです。
ちょっと意外じゃないですか?
今回は、健全な劣等感がどのようなものか、そして、健全な劣等感をもつにはどうしたらいいか、かつて私がもっていた劣等感を例に、お伝えします。
中学・高校時代のコンプレックス
私が劣等感と聞いて真っ先に思い出すのは、中学・高校時代です。
この時期にコンプレックスを一番強く感じていました。
中学も高校も楽しく、劣等感に苦しむほどではありませんでしたが、思い出すということは、多少なりとも感じていたのでしょう。
何にコンプレックスを感じていたかというと、容姿と、スクールカーストです。
中学・高校時代は、顔にもスタイルにも自信がまったくなく、スクールカーストは下の方だと考え、カーストの上の方にいる女子たちを羨んでいました。
別に今自信があるわけではないけど、いい意味で気にならなくなったよ
ちなみに、スクールカーストというのは、実際にはないもので、各々が勝手に頭の中で作り上げたものだと、今では思っています。
でも、当時の私の頭の中にはしっかりありました、スクールカーストが。
で、コンプレックスに対して何をしたかというと、何もしませんでした。
かわいい子や、スクールカースト上位の子のようにはなれないとハナからあきらめ、なろうとしなかったんです。
そういう子たちには劣等感を感じていたからか、仲良くしようと積極的に話しかけもしなかったし、どうせ話しかけたところで、ウザがられる、仲良くしてもらえないと思っていました。
また、仲のいい友達がいたので、その子たちといることが心地よく楽しかった、というのもあります。
今思えば、別に劣等感を感じる必要はなかったし、仲の良い友達と過ごすことに満足できる状況だったんですよね。
でも、当時は他人と自分を比べ、「自分にないもの」に注目してしまうことがありました。
アドラー心理学の劣等感
中学・高校時代に私が抱いていたコンプレックスは、アドラー心理学では「劣等コンプレックス」と呼ばれるもので、「劣等感」ではありません。
アルフレッド・アドラーは、オーストリアの精神科医であり、心理学者です。
フロイト、ユングと並び、世界的に「心理学の三大巨頭」と言われています。
日本では、「嫌われる勇気 自己啓発の源流『アドラー』の教え」(岸見一郎・古賀史健 著)で一躍有名になりました。
「嫌われる勇気 自己啓発の源流『アドラー』の教え」では、劣等感と劣等コンプレックスについて、次のように説明されています。
自らの劣等感を取り除くべく、より前進しようとする。現状に満足することなく、一歩でも先に進もうとする。もっと幸せになろうとする。こうした劣等感のあり方には、なんの問題もありません。
「嫌われる勇気 自己啓発の源流『アドラー』の教え」より
ところが、一歩踏み出す勇気をくじかれ、「状況は現実的な努力によって変えられる」という事実を受け入れられない人たちがいます。なにもしないうちから「どうせ自分なんて」「どうせがんばったところで」とあきらめてしまう人たちです。
(中略)
それは劣等感ではなく、劣等コンプレックスなのです。
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。
「嫌われる勇気 自己啓発の源流『アドラー』の教え」より
中学・高校時代の私は、他人と自分を比べ、健全な劣等感ではなく、劣等コンプレックスを抱えた典型例だったことがお分かりいただけたかと思います。
健全な劣等感をもつには
アドラー心理学によると、劣等感は問題ではない。
「理想の自分」と「今の自分」を比べることで生まれる健全な劣等感は、前進していく力になるんですね。
ここで、言うは易し行うは難し、と思われた方も多いかもしれません。
だって、他人のことって気になっちゃいますよね。
それに、「理想の自分」って何なのか、よく分からないという方もいらっしゃると思います。
他人と自分を比較しない
そこで、私自身の経験を振り返りながら、健全な劣等感をもって、他人と自分を比較せずに前進していくためのポイントを考えてみました。
中学・高校時代に抱いていた容姿、スクールカーストに関する私の劣等コンプレックスは、予備校生、大学生、社会人になるにしたがって、段々と少なくなっていきました。
現役では大学受験に失敗しました。
その直後は、ショックでした。
けれど、それで自分を責めるようなことはしませんでしたし、親も私を責めたりはせず、心機一転、浪人生活を始めることができました。
予備校は、第一希望の大学に適したコースを、自分で選んだような記憶があります。
河合塾だったよ
予備校の1年間を振り返ってみると、苦に感じたことはなく、真面目に勉強に集中できていたと思います。
このブログを書いていて気がつきましたが、勉強を楽しんでたんじゃないかな。
中学・高校よりも、「自分がしたくて勉強している」という感覚が強くなりました。
中学や高校とは授業形態が異なるので、スクールカーストのようなものは感じなかった、という環境の変化もありました。
そして希望の大学に進学し、その後、就職先も自分で決めて社会人になりました。
予備校以降、他人のことが全く気にならなかったかといえば、もちろんそんなことはなく、気になることもありました。
でも、中学・高校時代のような劣等コンプレックスはありませんでした。
それは、予備校以降は、「自分の意思」で歩んでいるという意識が強くなったことによって、自分を受け入れることができるようになってきた、満足できるようになってきた、ということが大きく影響しているのではないかと感じています。
自分を受け入れられるようになった結果、他人と自分を比べることも自然と減っていったのかな、と思っています。
自分を受け入れるということは、思うような人生を歩めていない人にとっては、難しいかもしれません。
それでも、生まれてからこれまで、歩んできたんです。
どんな自分であっても、失敗なども全部ひっくるめて、「それはそれでOK」です。
ぜひ、今の自分を受け入れることを試してみてください。
理想の自分
「理想の自分」が何なのか、それもそうは簡単に答えが出ないかもしれません。
でも、無理に考える必要ありません。
頭で考えすぎると、自分の感情に沿っていない、世間体などを意識した「理想の自分」を作り上げてしまったりすることがあるので、注意が必要です。
もし、「この人いいなぁ、素敵だな」と直感的に感じる人、何となく気になる人、目で追ってしまう人などがいたら、その人には「理想の自分」に通ずる何かをもっている可能性があります。
その感覚をちょっと掘り下げて、どういうところが素敵なのか、言語化してみてください。
そして、自分がその人のようになった姿を想像してみてください。
理想の自分を想像し、その想像上の自分と今の自分を比較し、その時に生じた「健全な劣等感」を原動力に、少しずつ理想の自分を創り上げていってくださいね。
まとめ
今回は、劣等感についてお伝えしました。
多くの人は、「劣等コンプレックス」を「劣等感」だと思っているのではないでしょうか。
だから、劣等感というと、何か良くないイメージを感じてしまう。
でも、前進するため、より幸せになるためには、劣等感は、むしろ喜ばしいものだったんですね。
まずは、自分に注目し、今の自分を受け入れてあげましょう。
そうすることで、他人と自分を比べることがグンと減るのではないかと思います。
そして、他人ではなく、理想の自分を想像し、今の自分と比較してください。
健全な劣等感をもって、前進していきましょう。
もし、どうしても自分を受け入れられない、他人と自分を比較してしまう、という場合は、お気軽にコーチングをお試しくださいね。
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