こんにちは、ライフコーチのSayaです。
先日、ブログでこんなことを書きました。
ところで、公園からの帰り道、とある学習塾の前で「我慢することが沢山あるけど、頑張ろうね!」という張り紙を見ました。
読んだ瞬間「!?」と違和感を感じたのですが、このことについては、いずれ記事にしようと思います。
ということで、今回のテーマは、「我慢」です。
この張り紙を見て私が感じた違和感について、お伝えします。
もう、我慢とか頑張るとかいうんじゃなくて、自分らしく、心地よく暮らしていく人生を生きてもいいと思うんですよね。
張り紙に感じた違和感
張り紙の「我慢することが沢山あるけど、頑張ろうね!」を見た瞬間、私は「イヤだよ!」と心の中で返していました。
だって、やりたいことを「我慢」して(しかもご丁寧に「沢山ある」とまで書いてある)、勉強を「頑張る」んですよ?
むしろ勉強のやる気が削がれてしまいます。
「我慢」を辞書で調べると、以下のように書いてあります。
感情や欲望のままに行動するのを抑え耐え忍ぶこと。辛抱すること。
また、「頑張る」は、
あることを成しとげようと、困難に耐えて努力する。
とあります。
どちらにも、「耐える」という意味合いがあるんですよね。
「我慢」と「頑張ろう」のダブルパンチで、なんかとりあえず「耐えなきゃいけない」という気にさせられたから、私は「イヤだよ」と反射的に思ったのだと思います。
違和感1 何かを成しとげるのに、我慢は必要?
じゃあ、この学習塾がやる気を削がせようと思ってその張り紙をしてるかっていうと、当然そんなことはないんですよね。
「我慢することが多いけど、頑張ろうね!」という言葉で、受験生を応援しているんです。
ここに、1つ目の違和感を感じました。
そこには、「志望校に合格するために何かを我慢するのは当然」「何かをやり遂げるためには、我慢しなきゃいけない」という価値観があります。
しかも、張り紙を堂々と貼り出しているということは、その価値観に同意してくれる人が多いと考えているのではないでしょうか。
けれど、私のように、「そんなのイヤ」と思う人もいます。
何かを成しとげるために、我慢は必要なんでしょうか?
何か(子どもだったらゲームや漫画とか)を我慢しないで、勉強と両立して合格する方法だってあるんじゃないでしょうか。
我慢しないで済むならそれに越したことはないのに、我慢することが前提になってるのはなぜ?
日本には、「我慢」や「忍耐」を美徳と考える傾向がありますよね。
一昔前は、日本の生活水準が低く、大半の人が同じような目標に向かって邁進していました。
我慢して頑張れば、どんどん生活が良くなっていった時代です。
我慢と努力の先にある目標がみな同じ方向を向いていた。
それに、我慢して頑張れば未来は明るかった。
だから、「我慢して頑張ろう!」「何かを成しとげるために我慢はあって当然」という価値観に、異議を唱える人はほとんどいなかったんだろうと思います。
でも、今は生活水準も上がって、モノや情報があふれています。
そんな世の中だから、価値観は多様化し、人はいろいろな方向を見ています。
昔は何かに耐えて人生を切り拓いたのかもしれませんが、最近はもっと心地よく、楽に、自分なりの方法で人生を生きていきたいという人が増えていると感じます。
私は元公務員ですが、私の少し下の代から、サクッと辞めて、転職する若手が増えました。
そういう時代に変化してきているのに、我慢することを前提とした張り紙を貼っているから、違和感を感じたんだと思います。
違和感2 目標達成のために何かを制限することは、我慢?
たとえば受験生が、志望校に合格するためにゲームをしない、漫画を読まない、と自分で決めることは、「我慢」でしょうか?
これが2つ目の違和感です。
私は高校卒業後、1年間大学浪人して予備校に通いました。
その1年間は、我ながら真面目に勉強して、当時好きだったテレビも見過ぎないようにしていました。
でも、我慢したという記憶は全くないですし、勉強するのは苦じゃありませんでした。
それは、志望校に合格したい、獣医になりたい、という目標があったからです。
目標を達成するために、自分で何かを積極的に制限することは、もはや「我慢」とは違うと思うんですよね。
納得していて、「耐え忍ぶ」という感じではないですから。
ただし、親や先生が勝手に決めて子どもに無理にやらせるならば、子どもにとって、それは「我慢」でしょう。
「我慢することが沢山あるけど、頑張ろうね!」の張り紙の学習塾は、子どもに「受験に関係ないことは全部我慢して、勉強しろよ」と強要していると捉えることもできます。
学習塾にそんなつもりはないと思うけど。
その「そんなつもりはない」という無意識さが、タチが悪い。
親や先生が「合格するために、我慢しよう!」と当たり前のことのように言う。
「我慢しないと勉強時間が減って、合格できない(遊びと勉強は両立できっこない)」と決めつけている。
となると、モヤモヤしたまま無理やり我慢しちゃう子どもも出てきますよね。
大人が抱える我慢
今までは学習塾の子どもの話でしたが、大人にも同じことが言えます。
我慢しながら仕事をしている人は、とても多いと感じます。
「我慢して頑張ろう!」的なことを言ってくる人、押し付けてくる人、そのような雰囲気を醸し出してくる人って一定数いますよね。
そういう人がいなくても、小さい頃から無意識に染みついた「我慢するのが当たり前」という思い込みから、我慢ぐせがついてしまっている人もいるかもしれません。
モヤモヤしながら我慢し続けていると、ストレスがたまるだけです。
じゃあ、どうしたらいいのでしょう?
なんのための我慢か思い出す
そういう方は、そもそも、なんで我慢しているのか、なんのための我慢なのか、改めて思い出してみてください。
つらい時って、どうしても、そっちに意識が向いてしまうんですよね。
でも、我慢していることに目を向けてしまうと、「~したいのにできない」というマイナスの意識にどんどん傾いてしまい、悪循環になってしまいます。
ちょっと気を取り直して、先ほどの受験の例のように、本来の目標や目的に目を向けてみましょう。
たとえば、仕事のお給料は良くて安定しているけど、業務内容に興味が持てず、つまらないという人。
仕事をする目的は何ですか?
お金に困ることなく、安定した生活を送ることに重点を置いているならば、仕事がつまらなくても、「安定」にはとてもいい仕事であると言えます。
「つまらない」ということではなく、「十分なお給料をもらえて、安定した生活が送れる仕事」ということに目を向けてみてください。
この仕事のおかげで、自分が大事にしている「安定」を得られている、と納得できるのであれば、つまらない業務を「耐え忍ぶ」「我慢する」というイメージが、少し軽減されるのではないでしょうか。
少しでも軽くなれば、心の余裕が生まれます。
余裕が生まれたら、次は「つまらなさにどう対処しよう」ということを考えることができます。
仕事に求めることは、一つだけではないですよね。
自分の仕事はその求めを満たしているのか、優先順位の高いことから、一つずつ順番に見ていきましょう。
「我慢」の先にある、本来の目標・目的に目を向ける
- 目標達成に寄与していれば、納得感が得られて、我慢が軽くなる
⇩ - 心の余裕が生まれ、我慢していることの改善策を考えられる
ためしに我慢をやめてみる
我慢しているという感覚がどうしても強いならば、どこか納得できていないところがあるということです。
それが何なのか、ぜひじっくりと考えてみてください。
また、我慢せず、やりたいように仕事をしたらどうなるのか、ためしに考えてみたらいかがでしょうか。
我慢しなくても支障がないならば、しなくてもいいんですから。
私は、公務員の仕事を続けず、やめたらどうなるのか考えてみました。
やめたら毎日何をして過ごすのかとか、お金のことなど。
考えた結果、我慢して公務員を続けなくてもいい、という結論に達しました。
退職することの支障がなかったわけではありません。
けれど、考えた結果、「公務員を我慢して続ける」以外の選択肢が見えてきました。
別に退職を勧めているわけではないので、そこは誤解しないでくださいね。
同じ仕事をしながら、我慢しない方法もあると思います。
我慢をやめたらどうなるのか、考えてみる
- 意外と支障ない
⇨ 思い切って我慢をやめる、やりたいようにやる - 支障があるけど、今まで思いつかなかった「我慢」以外の選択肢が見えてくる
⇨ 我慢をやめて新しい選択を
まとめ
今回は、学習塾の「我慢することが沢山あるけど、頑張ろうね!」という張り紙に感じた違和感から、「我慢」ということについてお伝えしました。
自分が納得できるのであれば、それは「我慢」とは違います。
ちょっと視点を変えるだけで、「我慢している」という思いから解放されるかもしれませんよ。
そして、何かを成しとげるために、「我慢しなきゃいけない」という考え方はもう古いと思います。
「我慢しなきゃ」という思いで苦しんでいる人は、力を抜いて、少しゆるっと「我慢をやめたらどうなるか」を考えてみてはいかがでしょうか。
もしお一人で難しいのならば、ぜひ、コーチングをお試しください。
我慢してしまう原因や、そこから解放される方法などを、一緒に探していきましょう。
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